■ネットリテラシーはITリテラシーの中でも文系臭さがあるように思う。
インターネットとの付き合い方すなわち情報との付き合い方、
有益なものと取り合わなくていいものの取捨選択のすべなどで。
□↑との対話:確かに文系くさいよ。もっとさらっとさっぱりでいいじゃんと常々感じてる
□↑との対話:BBSやブログが台頭しはじめたあたりから潮目が変わってきたように思う
検索し調べ知る道具というドライな面、叙情的・時に激情的であるウエットな面。
社会をなしている側面があるのかな。
□↑との対話:「ツール」と「ノート」の差?
■自分の立場から考えたらですが、
以前は調べものとかで使ってたぐらいですが、
今はLINE・Skype・Twitterとかのコミュニケーションツールを多用するようになたのでインターネットは必需品になりましたね。
現実・日常にコミュニケーションとる相手、家族や友達がいるのであれば必要ないかもしれませんが
■あなたにとってインターネットはどんな存在ですか?
どこかいかがわしいというか、いまいち信用し切れない友達みたいな
□インターネット以前・以後の比較から感じることがあれば語って下さい。
目的地に辿り着きやすくなった
地図、時刻表の参照、そもそも自分の求めているものが何でどこで手に入るのか?
読めない漢字の読み方、なんかも言って見ればそうかも
□あなたにとってインターネットは必需品ですか?
仕事に関しては間違いなく必需品
取引相手との連絡から始まり、最終的に成果物もインターネット上に公開・使用されたりするので
私的にはなくっても多分生きてはいける
しかし、娯楽の大半を依存してしまっているのでないとストレスはすごそうw
□ インターネットを使わない人とのやりとりで何か感じた体験があれば教えて下さい。
そもそもパソコン自体をあまり(もしくは全く)使わない人だなぁ、周囲のネットを使わない人は
PC(ネット)を使わない主な理由は「使い方がわからない」のと「必要ない」かな
□このテーマに回答してこの記事を思い出しました。
http://e-words.jp/w/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%89.html
デジタルデバイドとは、パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、
待遇や貧富、機会の格差。個人間の格差の他に、国家間、地域間の格差を指す場合もある。
若者や高学歴者、高所得者などが情報技術を活用してますます高収入や雇用を手にする一方、
コンピュータを使いこなせない高齢者や貧困のため情報機器を入手できない人々は、より一層困難な状況に追い込まれる。
いわば、情報技術が社会的な格差を拡大、固定化する現象がデジタルデバイドである。
また、先進工業国が情報技術によりますますの発展をとげる一方で、アフリカなどの途上国が資金難や人材不足、
インフラの未整備などで情報技術を活用できず「置き去り」にされ、経済格差が拡大するのは、国家間、
地域間のデジタルデバイドと言える。
デジタルデバイドは、もともと貧富や機会の差が激しかったアメリカで問題となった現象で、
2000年夏の沖縄サミットでは議題として取り上げられるなど、地球規模の新たな問題として注目されている。
■インターネットはどんな存在
会えるはずのない人や、話せる手段のない相手とそういったことが可能になった。人と人を繋げやすくした
□インターネット以前以後の比較
父親が海外にいたとき、国際電話が高すぎて5分話せるか話せないかという時代だった。
今は顔すら見ながら話すことができる。自分にとってはその変化が一番顕著。
その分、「会えない時間」が意味薄くなった。とても他人との付き合い方が変わったと思う。
□必需品?
なくなったら不可能になることがたくさんある。今はインターネットを必需品とした生活をしていると思う。
仮に使えなくなったら、ないならない生活をすると思うけど、一度知ったこの環境を失うのはストレスだと思う。
□使わない人とのやりとり
使わない人にとっては、「怖いもの」という強い拒否感を感じたことがありました。
■あなたにとってインターネットはどんな存在ですか?
1:未知の知識と発見の坩堝
膨大な情報をすぐに引っ張り出せる場所。
また、簡単に知らなかった知識を、ついでや偶然で頻繁に得られる場所。
真偽については、自分で取捨選択して、これかな、と思う情報を抜き出すのが楽しい。
2:新しい出会いの場
普通なら恐らく交流できないような人とふとした切欠で出会える、話せる場所。
良し悪しはあれど、多くの出会いはネットから始まりました。
□インターネット以前・以後の比較から感じることがあれば語って下さい。
インターネット以前というのが中学生まで遡るのが難ですが
簡単に知識や情報を拾い食いできる、知らない人と交流ができるようになって、自分の世界が非常に広くなった。
見識の広がり、情報の取捨選択は、私の場合は間違いなくネットネットで学んだ事。
□あなたにとってインターネットは必需品ですか?
個人的、心情的には必需品です。
□インターネットを使わない人とのやりとりで何か感じた体験があれば教えて下さい。
胡散臭い、嘘ばかり(嘘しかない)、危険、ロクなものじゃないという非常にネガティブな意見を言われます。
未知への恐怖や忌諱感と、メディアのネガティブキャンペーンの深い影響を感じます。
■1つの手がかりであり、莫大な情報を公開し、常に新鮮なことがわかる生活で欠かせない存在
使わない人について。
ちと違うけどネット使う前の自分の視点からだと
自分の知らないことばかりであり、少しでも対応を間違えると壊れてしまうってな感じかなぁ
例えば面接でめちゃくちゃ怖い人がいて少しでもへんな応答すると「あ”?なんでそんなこと言うねん」みたいな感じ
ネットは今やこう言う意見も書けるコミュニケーションツールになってますからね
「パソコン」を持ってる・活用してるのや「目的」も関係あると思いますね
上京して2年はテレビやパソコンなかったけど、知り合いに
「オンラインゲームやろうぜー」(あ、面白そうやな~)
ってことで、パソコンやテレビ買いましたからな~
それからは「娯楽」としてネットサーフィンで気軽に調べることもできるようになりましたからね
■何か調べる時にはつい使ってしまう。便利な存在だな。
ネット使ってなかった時は自分の趣味で時間つぶしたりとかが多かったけど、
ネットが身近になるとつい手を伸ばして、通販やら、チャットやらで時間潰すことが増えたね
ある意味、中毒みたいな…考えたら怖い。
特にスマホになってからだなぁ。
その時の状況によるけど、必需品になりつつあるね
【使わない人との間での体験談】本人はネットは使わないが、ネットで調べれば分かるってことは知ってるので…
メールで「○○を調べて」と送ってきて、調べさせられる_(:3 」∠)_
何もない時は気にしないぐらい、ネット触らないけど
触り始めると、そのまま持続して使うとかあって…
怖いよ 中毒または依存症かしら
■調べ物の観点から言うとこんなに便利なものはないと思う
でも、SNSは微妙な部分が多いと思う私
わたしは、あまり人との交流ツールとして依存はしたくないかな
□↑との対話:よく覚えてるのが「最近は日記を人に見せることが流行っています。
ブログというインターネットのツールを使って公開するそうなんです。」
というニュース。
あの瞬間が自分にとってインターネットが変わったときだな。
■具現化したテレパシーだと思う。
さみしくなくなるためにインターネット以前ではできなかったスキマ埋めができるようになったと思う。
スマホとかラインとか必需品。
寂しさが育ててくれるものは喪失したと思う。
インターネットの世界にもストレスがあって、たぶんストレスがあるから離れられない部分もある。
そんなネットコンテンツで最近見たマナー記事が好きだった。
□ユーザーの皆さまへ(ニコニコ活動ガイドラインについて)
http://blog.nicovideo.jp/niconews/ni056194.html
・「ぼくたちが達した結論は「表現の自由は他人を傷つけて良い権利ではない」ということ。
そして「自分の自由を認めてもらうには他人の自由も認めないといけない」のだということ。
そしてそれは「相手の存在や考えを認め共存する」ということです。」
・「皆さんの意見を真摯に受け止めつつ、誰もが本当の意味で自由な表現活動ができる楽しい場所を
作っていきたいと思いますので、ご協力よろしくお願いします。
長々と書いてきましたが、そのコンテンツを発表する前、そのコメントを書く前に
それが誰かを深く傷つけないかを今一度考えてみてください。そこに愛はありますか?
端的に申しますと「みんな空気読め」。」
■今は必需品じゃないけど、IOTが進むとないと暮らせなくなる。
道具を越えてインフラになるなら、必需品。
■1.コミュニケーションツール
・社会人になり妻帯者になると交流の幅がかなり限られて新たな出会いの場が極端に限られてくるため新しい友人ができにくい。インターネットは倫理観と最低限のマナーと節度を持って活用すれば知らない人と出会うための有用なツールと考えてます。
2.インターネットの普及により仕事などで過去の事例や他社事例が容易にタイムリーに検索できるようになったためかなり便利になった。半面、簡単に情報が得られるので人とのフェーストウフェースでの仕事が減り人間関係が希薄に⇒情報が増えたことによって仕事量増加⇒メンタル面の不調の原因に。 またいかがわしい事件に巻き込まれてネットに書き込まれると永遠にネット上から消えることがないため恐ろしい時代になったと思う。
3.無くても日常生活に困らないが人生の幅(友人、知識、疑似体験等)をひろげ明るく楽しくごきげんで素敵な人生を送る上での必需品。 無知な人は人に騙されて損をしたり、失敗したり、知らずに人を傷つけたりする。 自分だけが損したり失敗したりするのは自業自得ですむが場合によっては家族や他人を傷つけることもある。 このためマスコミが発信する一方的な情報に対し、本当に正しいのか色々な立場や感性をもった人の意見を簡単に調べれるので有用と考えてます。 ただし、氾濫する玉席混合の情報の中から有用な情報を見抜けなければ間違った情報に踊らされて痛い目にあいますが。
■インターネットは必需品?
・必需品というより必要品
・時代の流れ。自分には必需品じゃないけどいやおうなしに時代になっている。
・道具を超えてインフラになる時が来ている。必需品と言わざるを得ない。
■なぜこのテーマを取り扱いたかったか、A君の悩み
・子どもには高校に入ったらスマホを持たせる。
今は中学生で持たせていない。
だから彼はLINEのグループに入っていない。
そこにいないことで遊びの集まりに誘ってもらえなかった。それがさみしくてつらかったから持ちたいと言った。
持たせる時期は高校まで待たせるが、子どもがインターネットやSNSに関わることについて、
どう考えたらいいのだろうと思った。
■インターネット以前・以後
・海外を長期回るときのスタイルが変わった。
wi-fi接続できるホテルを探すようになった。
これまではメールを使える施設で1ヶ月に1回連絡を入れるのがせいぜいだった。
どこかに行く場合も下調べしていくことができる。
クチコミを見て事前知識を得ることもできる。
だから同じ場所に同じようにいく人が増えたと思う。
■インターネットがあって良かったこととは
・人とつながりやすくなった
・ナビシステム
・旅行で人と関わりやすい、移動しやすい
→「人とのつながり」「移動=手段の検索」
■インターネットについて
・簡単に便利に文字情報を作り出すことが出来る。
瞬間的で感情的な情報。<>インターネット以外の文字媒体には推敲のいとまがあった
・自分が書いたことが意図していない受け取り方をされ、
それがさも真実であるように語られることが起きることがあった。
書いた人にも読む人にも、その人がどういう状態なのかがわからずに文字が伝えられ伝わっていく。
・クチコミってなんだろう。テレビや雑誌とは違う情報内容、情報量などがある。
嘘もあるかもしれないのに、書かれているとそうなのか。と感じる。
・インターネットについて語るにしても言葉数が多くなる。
既存のまとまった言葉がないからこうなるのだと思う=インターネットは創生期
でも世の中に登場してもうすぐ20年になろうとしている。それでも創生期で、
こうしていけばいいだろうという感覚がおぼつかないまま。
変化の速度が速いコンテンツなので、常に状況が最先端で、
方法論が変わり続けるから過去の経験が生かせない。
どうしたらいいのかが経験値として積みにくい。
・人がとてもインターネットに追いついていない。
技術に置き去りにされながら、生活に深く食い込んでいる。
・技術は最先端なのに現すのは文字のまま、太古から使われてきた表現手段に集約される。
そのアンバランス。アウトプットが文字。そしてそれを受け取る人間。技術とのアンバランス。
・インターネットがあるから知り合えなかった人と知り合えている。
孤独が埋められる。<>かえって孤独がはっきりするとも言えるのでは?
現実の友達と疎遠になったり。
■良かったことも問題点も「人とのつながり」「手段の検索」に集約していないか?
表裏一体
本当に捕えて使いこなす状況に人が追いついていないと思う
人とのつながり方・・・tw、fb、LINE、イイネ!、ふぁぼ、既読、瞬間的、感情的、文字、発し方と受け取り方が見えない
手段の検索・・・何かを調べるためのツールであるにしても、その情報が本当に信じられるものなのか判断しなければならない。
・自己責任が増えた。←これまではある程度まとまった情報でものごとを知っていた。
操作もされてきたのだろうが、情報量がもっと少なく単純だった。
■ネットがあるから誘発される問題もある
ネットがなかったらそういうものを知らないままでいられたのか?
もともと知っていて核心していくのか?
鶏が先か卵が先か?
・そういう話でインターネットが問題を助長しているという話は議論されるシーンを多く見るが、
何かが何かを助長する可能性は等しく内包されていると思う。
よく調べない、わからないままネットは怖いと語られてしまうこともまた問題だろう。
■これからインターネットを使う中学生A君にアドバイスするとしたら
・自分で考えて結論しよう
・疲れた時はぱったりやめてしまうものだと思っていてほしい
・時代の流れ