関係性が対等。
男の子と女の子じゃなかった。
みんなが対等で平等。
カステラのシーンがおいしそう。
森の動物になったような気持ちになる。
1963年初版、166版。
★なぜこれが名作と呼ばれるのか?
<>名作とは思えないという意見。
?疑問
童話とは程遠い
たとえ話から派生している。現実にファンタジー要素を織り交ぜたもの。
童話の目的は啓蒙。
ぐりとぐらには啓蒙がない。
★<>ではなぜこれが支持されていると思いますか?
食に対する気持ちが刺激されるという要素。
仲間となにか食べたい。
食の基本が語られている。それを深読みできる。
誰とも何とも比較しない。そこがすごい。比較されるものがない。
どの要素にも感情移入できる。ぐりとぐらにも、動物にも、卵にも共感できる。
大人が読む意味はあるのか?得るものがあるのか?
得るものは確かにない。
大人が読んでためになるものが、子どもに対してもいいものなのではないか?
大人がみていいものは子どもにもいい。
<>とは、限らない。
大人が読んでもいい。ほっこりする。
最初に歌っている。
人間の一番大事なところだろう。
たのしそうだ。
生きることを楽しんでいる。
こんなふうに生きたい。
臨機応変な二人。
臨機応変さが絵本のいいところ。現実にはありえない。
子どもに読書感想文を書かせたら、きっとカステラが食べたいというと思う。
一番印象に残るシーンがふたをあけたところ。
絵がていねいで綺麗。それがすごい。
こわさがない。どのページをみても安心できる。
はらはらどきどきがない。
子どもに安心感が与えられる。
残酷さがない。それが当たり前のものが多い。
ファンタジー要素がもっとあってもいい。
<>いや、ファンタジーだらけじゃないか。
ファンタジーと現実のボーダーがないものはおもしろい。
ぐりとぐらにはそれがない。
昔からある日本の物語は面白いと思わないか?
おもしろい。ただ、それは昔話として聞くのは面白いが、研究の話になると難しく感じる。
それに比べるとぐりとぐらは与えるものがない。
ぐりとぐらのよさは、それを押し付けないのがいいところなのではないか。
<>ものたりない。
ぐりとぐらの歌をオリジナル創作する幼稚園などがある。
内省の本。対話を通して話が進められている。
卵どうする?こうしよう、ああしよう。
何つくる?これにしよう、あれにしよう。
対話を通して自分の行動をしてみよう
二人セット。心。子どものあたまの中。
子どもが主体的になにかしようとする。そこに他者が現れる。
試行錯誤。
子どもの中のぐりとぐら。最後に子どもに、こどものなかのぐりとぐらに問いを与える。最後のシーンは一例。
子どもの思考法、自我の過程、道筋。
対話をとおしてそれらを行っている。
ぐりとぐらが未分化。=子どもの試行。
名作とよばれるのはなぜか
・安心感。安心してみせられる本。
・こどもが感情移入しやすい。ぐりになったりぐらになったり動物になったり・・・
・読んでいてわくわくする。わくわく感を与えてくれる。はらはらもある。
・日常を楽しんでいる本。日常を楽しむ天才。
・対話を通して子どもの中のぐりとぐら=思考法、自我の過程、道筋、問いを与えているから。
名作とよばれる絵本は古くならない
どうやって大人は子どもに絵本を与える判断をしているのか?
配本
読んだ記憶
リズムがよいもの
絵本で何かを教えるものは与えたくない。純粋に楽しめるもの。
純粋に本の世界に入り込めることを楽しめるものとして与えたい。
子どもは絵本に飽きるか?
飽きる本と飽きない本がある。
ネットで検索して、マニュアルを調べてから与えたい。
絵本やさんに推薦してもらう。
海外でも受け入れられたのはなぜ?
子どもの心を表現しているから
世界共通の要素がある、子どもの考え方は世界共通なのかもしれない
文化の差、文化の相性、幼児はその影響を受けていないから
生きている楽しさを学ぶことができるから
国境のない絵本
タイトルについて
響きがいい
ぐり、ぐら、ぐり、ぐら
歌の部分が歌にならない
ぐりとぐらから見るよい絵本とは?
子どもの心に沿った本
ワクワク感をおもいださせてくれる本
教育的な本がいい絵本
補記
教育要素がないことが世界的に広がった一員ではないか?
文化、歴史などの背景と切り離されているから
こどもの状態のフリー性
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