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7:えほんで哲学対話『ぐりとぐら』

関係性が対等。
男の子と女の子じゃなかった。
みんなが対等で平等。
カステラのシーンがおいしそう。
森の動物になったような気持ちになる。
1963年初版、166版。
★なぜこれが名作と呼ばれるのか?
<>名作とは思えないという意見。
?疑問
童話とは程遠い
たとえ話から派生している。現実にファンタジー要素を織り交ぜたもの。
童話の目的は啓蒙。
ぐりとぐらには啓蒙がない。
★<>ではなぜこれが支持されていると思いますか?
食に対する気持ちが刺激されるという要素。
仲間となにか食べたい。
食の基本が語られている。それを深読みできる。
誰とも何とも比較しない。そこがすごい。比較されるものがない。
どの要素にも感情移入できる。ぐりとぐらにも、動物にも、卵にも共感できる。
大人が読む意味はあるのか?得るものがあるのか?
得るものは確かにない。
大人が読んでためになるものが、子どもに対してもいいものなのではないか?
大人がみていいものは子どもにもいい。
<>とは、限らない。
大人が読んでもいい。ほっこりする。
最初に歌っている。
人間の一番大事なところだろう。
たのしそうだ。
生きることを楽しんでいる。
こんなふうに生きたい。
臨機応変な二人。
臨機応変さが絵本のいいところ。現実にはありえない。
子どもに読書感想文を書かせたら、きっとカステラが食べたいというと思う。
一番印象に残るシーンがふたをあけたところ。
絵がていねいで綺麗。それがすごい。
こわさがない。どのページをみても安心できる。
はらはらどきどきがない。
子どもに安心感が与えられる。
残酷さがない。それが当たり前のものが多い。
ファンタジー要素がもっとあってもいい。
<>いや、ファンタジーだらけじゃないか。
ファンタジーと現実のボーダーがないものはおもしろい。
ぐりとぐらにはそれがない。
昔からある日本の物語は面白いと思わないか?
おもしろい。ただ、それは昔話として聞くのは面白いが、研究の話になると難しく感じる。
それに比べるとぐりとぐらは与えるものがない。
ぐりとぐらのよさは、それを押し付けないのがいいところなのではないか。
<>ものたりない。
ぐりとぐらの歌をオリジナル創作する幼稚園などがある。
内省の本。対話を通して話が進められている。
卵どうする?こうしよう、ああしよう。
何つくる?これにしよう、あれにしよう。
対話を通して自分の行動をしてみよう
二人セット。心。子どものあたまの中。
子どもが主体的になにかしようとする。そこに他者が現れる。
試行錯誤。
子どもの中のぐりとぐら。最後に子どもに、こどものなかのぐりとぐらに問いを与える。最後のシーンは一例。
子どもの思考法、自我の過程、道筋。
対話をとおしてそれらを行っている。
ぐりとぐらが未分化。=子どもの試行。
名作とよばれるのはなぜか
・安心感。安心してみせられる本。
・こどもが感情移入しやすい。ぐりになったりぐらになったり動物になったり・・・
・読んでいてわくわくする。わくわく感を与えてくれる。はらはらもある。
・日常を楽しんでいる本。日常を楽しむ天才。
・対話を通して子どもの中のぐりとぐら=思考法、自我の過程、道筋、問いを与えているから。
名作とよばれる絵本は古くならない
どうやって大人は子どもに絵本を与える判断をしているのか?
配本
読んだ記憶
リズムがよいもの
絵本で何かを教えるものは与えたくない。純粋に楽しめるもの。
純粋に本の世界に入り込めることを楽しめるものとして与えたい。
子どもは絵本に飽きるか?
飽きる本と飽きない本がある。
ネットで検索して、マニュアルを調べてから与えたい。
絵本やさんに推薦してもらう。
海外でも受け入れられたのはなぜ?
子どもの心を表現しているから
世界共通の要素がある、子どもの考え方は世界共通なのかもしれない
文化の差、文化の相性、幼児はその影響を受けていないから
生きている楽しさを学ぶことができるから
国境のない絵本
タイトルについて
響きがいい
ぐり、ぐら、ぐり、ぐら
歌の部分が歌にならない
ぐりとぐらから見るよい絵本とは?
子どもの心に沿った本
ワクワク感をおもいださせてくれる本
教育的な本がいい絵本
補記
教育要素がないことが世界的に広がった一員ではないか?
文化、歴史などの背景と切り離されているから
こどもの状態のフリー性

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6:住みたいまちってどんなまち?

●住みやすいいまちって?
・2年おきにてんてんとまちをうごいてきた。自分は根無し草の仮住まい。自分には難しいテーマ。
どこにもう一回住みたいかを考えた。街にキャラクターがあった。それを求めて住んでいた。
街のキャラクターと住みたいニーズがあっていること。
・地区別に特色がつよい。カラーが強いところに住んでいる。
便利、そこにいけば何でもそろうところ。
ゴミがおちていない街がいい。ゴミがおちているところは心がすさむ。人もそれにひっぱられる。
みんなが美を守っている環境は暮らしやすい。
・比較材料がないため経験から語るのは難しい。
今住んでいるところは嫌い。
自分が生まれ育った場所があまり好きではない。でも生まれたところは好きになれないのかもしれない。
→自分に対してネガティブな感情が強いため。人格と街のイメージに寄生。
おいしいところを探すのがすきなのでそういうところがあるといいなと思う。
・地域のきわに住んでいる。行政のくくりのきわ。よい意味で地域感が薄く、住みやすい。
子供がいる。独身のころとステージが変わると、すみやすさ、すみづらさが変わる。
・価値観が多様である。
・街が人格を形成する一面がある。
・便利なところ。でも便利だから住みやすいわけではない。不便なところだと人が手伝ってくれる、補い合える。
・場所ではない。文明が高い低いではない。人間の接し方。相手を思って接することが一番。それがはじめてコミュニティがうまくいく。個人個人の考え方ではないか。都会もなければ田舎もない。
★街ラブ!の人は自己肯定感が強いのではないか?
戻ってきてよかったと言い切れることがすごい。
閉鎖的でいやけがさした。
特定の人から「あなたどこの子?」からはじまることが疑問。
★自分は街の一員か?
・人とのつながりは自分の価値観とは違うところにあるので興味深い。つながりはいやだ。
・借りぐらし感覚が続いていて、一員感がない。
・なれていない気がする。その地に根を下ろす気がないから借家。
・外国の片田舎に住みたいなと思っていた。誰にも知られずに生活していきたい。一員じゃないのにそこにいる違和感。
・価値観にあわせないにしてもぱっと考えて、住もうと思ったら住めるが、
最低限ほしいのはネット環境。
車があれば国や無人島でも住めると思う。
★これがなければ住みづらい
ネット環境
→北の国から なにもないところから作り上げている。
最低限のインフラ
★一生そこに住んでくださいと言われたら都会か?田舎か?
・医療機関に必要に応じてかかることができる。
・車がないと生活がなりたたない。
・交通のインフラがある。車がなくても生活に支障がない。
・一番都会なところが都会。相対的に一番いいところ。県なら県の中心。日本なら東京。
★田舎とは?
・必要なものがそろわない。それはステージによって変わる。
★ならどっち?
今なら都会を選ぶ。
都会を選ぶ。孤立しづらい。
都会を選ぶ。田舎の濃いコミュニティの排他性が苦手だから。
純粋に一人なら都会だが、子どもは田舎で育ったほうがいい子に育つ気がする。素朴なところが育たないから。田舎のほうが人格形成によいと感じる。ぬくもり、人間味いい影響がある。
都会に行く=コミュニティから離れる。
都会=便利、田舎=不便
利便性を補い合う形でつながりあうのが田舎。
田舎の助け合い。
近所づきあいの濃さ。濃密なほうが田舎。
人は重要なインフラ。人が誰もいないところは住みたいと思わない。
風景がよいところを求めるステージ

★?どういう状態が都会なのか?
?ありすぎるから住みやすいのか?ありすぎるから住みづらいのか?日常どちらを意識しているのか?いつも考えているのか?
★こどもという要素
地域の自治会が強い影響を及ぼしている。
保育所の騒音問題
★東京のほうがコミュニティが多くないか?
コミュニティという言葉が曲者、自己顕示欲のために活動してる人もいる。
生活経験の差。
田舎でも都会でもコミュニティの問題が同じところにあるのかもしれない。
自己実現のための街。
飲食店で地域性を感じる。
★住みやすいまちとは?
人であって場所でない。
都市機能や人の質であって、それらの量ではない。
だれもが:社会的な弱者が生きやすい街である。福岡は低いと思う。
楽しいとかを過剰にあえて表現する必要がないところ。
自然とともにないといけない。精神的な発達。文明の発達も必要。それがバランスよく進歩しているところ。
適度なわがままが通るところであって、義務が強いところではない。
住みにくくない=住みやすい「無難」自然と暮らせている
バランス


★自然は重要なの?
水、空気などの環境問題のクリアさ

?住んでいて自然と具体的にかかわるのはどうかかわりますか?
いざとなれば手に届くところに住んでいたい。しかしそれに対して何か義務を負いたいわけではない。
一人で地元に戻るとネガティブな思い出がある止まっている自分が出てくる。
ルーツ
住めないからこそいいところが見える。
離れてみてみえてくる

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5:自然とは?

●参加者発案のテーマ:なぜ自然について哲学対話したかったのでしょうか?
人ととらえ方が違うと感じている。
昼に日が照る、大地は緑、小鳥がさえずる、それが一般的な自然のイメージだと思う。
ほかの人がどんなふうに感じているのかを知りたい。
●自然とは?
偶然ではないもの
偶然はありえないもの
原因があるもの
生命である 命である 
意識がある 意識がすべてのものにある そこからすべてが発生する
動物も人間もそこから発生する
漠然と意識 人間と同じ意識であると思う、人間とかけ離れた存在であることはありえない それと同じ意識を持っているものが自然である。
意識、生命、命である 人間とかけ離れた存在ではない
春になったら種をまいて芽を育てる。=植物、土があり、四季があり、養分がある=それが一つの生命
命がないと芽生えがないもの。
根本的に命がないといけないもの。
にんげんであれば二つ。生命の部分、意識体。肉体(時間に支配される の部分と根本的な命(根本的なもの、意識体 がある。
意識=本質=命。
不妊治療の不自然さ。人が拒否する不自然な行為。命に対する危機感。自然でいたい願望。
やっぱり命だと思う。農家での体験。芽吹くもの。
ふつうでいること。自然体。ナチュラル。変なテンションじゃないこと。あるがまま。素。メンタル面での自然。
自分にとってのふつう。まぎれもない自分。そのままの自分。素の自分。
命であるというのもすごくよくわかる。
不自然への怒りもあるなと思う。
そのままの自然体であること、生きていることに直結している。
不自然だと、命に対してちゃんと生きているといえないように思う。
ネイチャー ナチュラル
根本は同じ。命。
●不自然とは
人間は感情がころころ変わる それをストレートに出せないとき
笑顔が暗黙の了解、どんな精神状態でも。ストレスに変換される
あえてしていること、ありのままでないこと、人工的、人為的なもの
食べたいときに体が欲するものを食べること。自分が捕まえられないものは食べるのが不自然。
あるがままじゃない。
淘汰されるもの←でもそれはむしろこれまでの自然を駆逐することもある。どこの視点でみるか
思い付きが不自然なもの。綿密な意志が介在しているもの。
いきあたりばったりが不自然
●自分ってどんな状態?
自分の自然な状態ってなに?
自分がこうあることが自然だな、それはなんですか?
あまり考えたことがありません。
自分らしい自分
●自然とは
宇宙の生命力である
認識であると同時に認識ではない
人間も含めた大きなデザインである
ありのままの姿であって、それは必ずしもストレスフリーな状態ではない
知識、生命、力、叡智である

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4:しあわせってなんだろう?

■しあわせって?
・機嫌のいいとき
・誰かの役に立つこと
・満たされるとき 欲望が 能力を実現していったら。積み重ねになったら。←そうなったらそれを土台にして、さらに発展していくもの。マズローの五段階 「衣食住が満たされたら次は安全、」
かつ、瞬間的、一時的なもの。充足感が幸せ、喪失感がふしあわせ。時間とともに人間は喪失するものだから、ふしあわせは持続的。幸せの維持は難しい。
・ふしあわせじゃない状態が幸せ。でもそれには気づかない。
・日本人の幸せ。衣食住が足りていることがほとんど。
・足るを知ること。持っているものを数えることができる人は幸せな性質。持っていないものを数える人はふしあわせ。
・物質的なものばかりではないのではないか?物質由来の幸せは消えてしまう。永続性のあるものが真の幸せ。たとえば知識を得ること。知識を得たら前進する。
→自分が成長したときですか?
→でも自分が成長したかはわからない。知識をかき集めることが幸せ。知識がない限りは前進がないけれど、それがわかるのは死ぬ直前じゃないか?物質は死んだらもっていけない。それは一人では得られないもの。社会的な前進。
・幸せってただの気づき。
■物資は本当に意味がないか?
・ある程度は必要
・それがなくても幸せ、あなたと一緒ならと言えるひともいるのでは?
・もう生きられない環境であっても、この人と一緒にいられるなら。
■精神性←→物質性?
・いや、それは対立しない。対立させて考える必要はない。どっちを満たせばということではないのではないか。
・究極的な幸せは老後の安定を生きるためのたくわえを得ることではないか?
・幸せは心の状態。
・欲望が停止して、苦痛が消滅した負の状態である。(引用)
・知ると、喪失を自覚する。
■「I am a girl」
・女性であるだけで虐げられている文化に対し、それを是正しようとする団体がある。
・それを知らせるのは不幸を自覚させることか?
■比較が入ってくると幸せが揺らいでくるのではないか?
・幸せと思う感覚は自分で守る。
・比べることが不幸せのはじまり。
・比べることが不幸せの気づき。心が満たされた状態が幸せ。幸福感を感じるときが幸せなときだ。
・幸せは個人的な体験。←→幸せとは何かという概念。この二つは同じレベルで考えていいことなのか?
・人は幸せにも不幸にもなれないのではないか?
・うれしいと幸せは違うんじゃないか。
・満たす満たされないは関係ない。
・不幸なときに幸せだと思わないとどんどん不幸が大きくなっていく危険性がある。
・幸せは感じるもの?思うもの?
・幸せ感覚論←→幸せ認識論
・幸せを感じる事例はわかるが、幸せとはこれであるという説明にならない。
・気づきは幸せをとらえる方法である。
・死ぬ瞬間に幸せと思うことができるか?
・幸せを感じる才能には個人差がある。
・トレーニングもできる。
・幸せを感じるのがへたなひとがいる。
・「考え方一つ」
・他人の言ってる幸せは頭に入ってこなかった。
・媒介の例は出ているのに、定義の例が出ていない
おいしいものを食べたら幸せ。は言えるが、幸せはおいしいものをたべたとき、とは言えない。
★幸せ、不幸は全体的なものではないのか?
◆しあわせってなんだろう?
・幸せは感じるものであって、定義するものではない。
・心の状態であって、外観ではない。(場所、時間、外見、レッテルではない。)
・生きていることであって、生きている限り定義できないものである。
・目指すもの。
・個人的なものであって、他人と比較するべきものではない。
?生まれてきて幸せですか?
・今までいきてきた人生を繰り返すということ?そうなら別の道を歩みたい。
補記
幸せであることを疑わない、宗教。信者。没頭は幸せ。
保障されたい人が宗教に走る。
他力本願。
宗教はガイド。幸せガイド。
古代の幸せは宇宙感との一体が幸せだった。
合一感

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